リツアンSTCの長谷川

私は2007年創業の技術者派遣会社リツアンSTCで10年以上勤務し、「さよならマージン」として働いています。

自己紹介と個性体験の年表

🌟ようこそ、リツアンSTCの長谷川のブログへ!🎉

🛠️ 当ブログでは、リツアンSTCの最新情報やエンジニアキャリアに関する役立つ情報をお届けしています。ぜひご覧ください!👀

📚 それでは今回の記事の内容をご覧ください。

こんにちは!宮崎県出身の長谷川です。私はこれまでの人生でさまざまな経験をし、多くのことを学んできました。今回は、その一部をご紹介したいと思います。

生い立ちと学歴

生まれ
私は宮崎県で生まれ育ちました。幼少期は大人しい性格で、姉とおままごとを楽しむような静かな子供でした。しかし、小学生になると、父親の勧めで極真空手を始めました。父親は私の将来を案じて、私に強さと自信を持たせるために空手道場に連れて行ってくれました。この経験は、私の人生において大きな影響を与えました。

学歴
高校では調理科に進学し、調理師の資格を取得しました。父親が中学校卒業という学歴にコンプレックスを持っていたため、私が高校を卒業することに強い思いがありました。父親は自分の経験から、私により良い教育と将来を望んでいたのです。

キャリアの変遷

飲食業界
18歳で東京の天ぷら専門店に就職しました。当時の飲食店はとても厳しい環境で、私も例外ではありませんでした。先輩からの嫌がらせを受け、洗い場のシンクに包丁を入れるなどの厳しい状況に耐えながら働きました。しかし、手荒れの問題が深刻化し、調理の仕事を続けることができなくなり、最終的に飲食業界を諦めることになりました。

音楽活動
19歳で退職後、板前時代の後輩とバンド活動を開始しました。日比谷や四谷、渋谷を拠点にライブ活動を行い、21歳にはインディーズ事務所に所属し、ツアーも行いました。自分の作曲した曲がカラオケに登録されるなど、一時期は音楽活動に夢中になりましたが、事務所によるアレンジに納得できず、22歳で音楽活動を引退しました。

CADオペレータ
23歳で派遣会社に登録し、CADのオペレータとして働き始めました。CADの仕事は私にとってパソコンで絵を描くような楽しさがありました。さらに、この業界の請求単価が高いため、給料も魅力的でした。25歳で3DCADの講師として働き始め、給料も大きく上がりました。

リツアンSTC入社 派遣業界
26歳で現在の派遣会社に登録し、古川電工でワイヤーハーネス設計の派遣業務に従事しました。しかし、27歳のリーマンショックで職を失い、静岡県に引っ越していたにもかかわらず仕事を失うことになりました。当時交際していた彼女(現在の妻)の紹介でアパレルショップのWeb担当としてアルバイトを始めました。

Web広告代理店
29歳で東京に戻り、知り合いの先輩と友人と共にWeb広告代理店を設立しました。社長秘書兼SEとして働き、主にセミナーパンフレットやHP、リスティング広告業務を担当しました。リーマンショックの影響が収まり、31歳でWeb広告代理店を退職し、再び派遣業界に復帰しました。

再びリツアンSTC入社 派遣業界
携帯無線機メーカーのエリクソン基地局建設担当として、一気通貫の管理業務を経験しました。その後、新規基地局建設ラッシュの衰退とともに、現在の大手トラックメーカーの開発部門でファシリティ設備担当の仕事に従事しています。

個性体験:奇跡の施術

2018年、私の人生は一変しました。愛娘が2歳8か月の時に小児がんステージ4と診断されたのです。毎晩腹痛を訴え泣きわめく娘を心配し、連日近所のクリニックや病院に連れて行きましたが、最初は便秘と診断され、なかなか原因が分かりませんでした。ある日、紹介状を持って訪れた労災病院で精密検査を受けた結果、大きな腫瘍が見つかり、娘は神奈川こども病院に緊急搬送されました。鎖骨に4cm、膝裏に4cm、副腎部に14cmの腫瘍が見つかった時、私はこの世に絶望を感じました。

それでも、娘の前では涙を見せず、常に笑顔で接し続けました。私は「医療では匙を投げられた患者が、民間療法で奇跡的に治った」という情報を信じ、自分自身でも何かできることはないかと模索し始めました。そこで、各地の民間療法の専門家を訪ね歩き、その中で効果を感じた施術を自ら学び、改良する日々が始まりました。

施術の学習と改良

皮膚学の応用

まず、私は皮膚が非常に繊細なセンサーであることに着目しました。皮膚は他者の皮膚感覚を伝播する特性があります。例えば、手のひらに強い力を入れて相手の肩に触れると、相手の肩は緊張し、肩こりが促進されます。しかし、手のひらの力を抜いて軽く触れると、肩こりが和らぐという反射機能を利用するのです。

エネルギー療法

次に、私は深い瞑想と特定の呼吸法をマスターしました。これにより、体から気を放出し、相手の体内にエネルギーを送ることができるようになりました。このエネルギー療法は、体内の気の流れを整え、自然治癒力を高める効果があります。

ホメオスタシスの遠隔施術

さらに、私はホメオスタシス(恒常性)を活用した遠隔施術も学びました。ホメオスタシスとは、体内の環境を一定に保つための機能です。私は、特定の瞑想と呼吸法を用いて、体内のエネルギーを整え、遠隔からも患者の体内のバランスを回復させる技術を身につけました。

娘への施術

私は毎日仕事が終わると病院に駆けつけ、娘に施術を行いました。病院のベッドで娘のお腹や背中、足など全身を優しくさすりながら、エネルギーを送り続けました。この施術を続けることで、娘の免疫機能を高め、体の回復力を促進しました。

娘は強力な抗がん剤治療、外科手術、放射線治療を受けましたが、施術のおかげでその回復力は非常に早かったです。抗がん剤治療を受けた後、白血球の数値が通常よりも早く回復し、造血幹細胞移植術でもわずか10日ほどで幹細胞が生着しました。これには病院の先生も驚き、太鼓判を押されるほどの強い生命力を見せました。

施術の効果

2019年、娘は無事に寛解し、退院しました。抗がん剤治療や外科治療、放射線治療のスケジュールも一切遅れることなく進みました。娘のかかったガンはステージ4の低分化型、染色体2倍体の高リスク群に該当し、5年生存率が10%以下という最悪なタイプの病理診断を当初受けていました。しかし、娘は現在も再発せず、特に大きな後遺症もなく元気に小学校に通っています。ある一定の周波数以上の音が聞こえない、歯の形成不全などの後遺症は残りましたが、生活の質を大きく下げるものはありません。

今考えてみれば、治療がうまくいったことはもちろんですが、私の施術が大きな効果をもたらしたと確信しています。この経験を通じて、私は施術の効果を確信し、今では近所のママさんたちや職場の同僚にも施術を行っています。また、娘を朝起こすときは、体をさすりながら施術をし、気持ちよく起こしています。これも体の免疫機能を最大限に引き出す効果があると考えています。

このように、私が学び、実践してきた施術は、娘の健康を取り戻すだけでなく、他の多くの人々にも役立っています。私の経験を通じて、どんな困難な状況でも希望を持ち続け、自分ができることを探し続けることの重要性を伝えたいと思います。これが私の個性体験です。

年表

  • 幼少期: 宮崎県で生まれる。大人しい性格。
  • 小学生: 極真空手を始める。
  • 高校生: 調理科に進学し、調理師の資格を取得。
  • 18歳: 東京の天ぷら専門店に就職。
  • 19歳: バンド活動を開始。
  • 21歳: インディーズ事務所に所属。
  • 22歳: 音楽活動を引退。
  • 23歳: 派遣会社に登録し、CADオペレータとして働く。
  • 25歳: 3DCADの講師業務を開始。
  • 26歳: 現在の派遣会社に登録。
  • 27歳: リツアンSTCに入社後、リーマンショックで職を失う。
  • 28歳: アパレルショップのWeb担当としてアルバイト。
  • 29歳: Web広告代理店を設立。
  • 31歳: 再びリツアンSTCに入社。派遣業界に復帰。
  • 32歳以降: リツアンSTCに在籍中。
  • 2018年: 娘が小児がんステージ4と診断される。
  • 2019年: 娘が寛解し、退院。
  • 2024年現在: 娘が再発せず、元気に小学校に通っている。

これが私のプロフィールと個性体験です。